【Book review】この世の喜びよ

CULTURE

2026.05.12

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「他愛もない、ほんに他愛もない、スバラシな思い出」持っていますか

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『この世の喜びよ

読みはじめは文体に慣れることが必要ですが

日常を輝かせる詩人の視点と描写力が欲しくなります

 

著    者:井戸川射子

出版社: 講談社文庫

定    価:660円(税込)

 

NHK朝の連続テレビ小説『ばけばけ』の最終回から引き継いだ選抜高校野球の実況アナウンサーが「振り返ると日常のひとコマひとコマがすべて美しく愛おしい」とドラマの脚本と演出を褒めたたえたのち、野球中継に入りました。

出番の合図を待ちながらドラマを見ている間に心を奪われたのでしょうか。

今回ご紹介するこの小説『この世の喜びよ』も「この世(ありふれた日常)」で出会う「(ありふれた)喜び」を伝えようとした他愛

もないお話と言えましょう(失礼かとは……でも舞台がショッピングセンターですし……)。

ところが、そこは芥川賞を受賞した作品、詩人である作者の文章がひと味もふた味もスーパー(超)違うとのふれこみもあり。『ばけばけ』のなかの怪談話でもラフカディオ・ハーンをモデルにしたレフカダ・ヘブンは主人公トキの語り口に取り憑かれていました。

では、ワタクシも詩人が織りなす言葉のあやに引き込まれてみたいと思います。

 

 

 

【本書のあらすじ】

 

版元(講談社)のH.P.の紹介によると――娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。

その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。言葉にならない感情を呼びさましていく「この世の喜びよ」をはじめとした作品集(芥川賞受賞)。

ほかに、ハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦を描く「マイホーム」、父子連れのキャンプに叔父と参加した少年が主人公の「キャンプ」を収録――とあります。

 

 

 

 

【著者について】

 

井戸川射子(いどがわ いこ)氏は1987年生まれ。

関西学院大学社会学部卒業。2018年、第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行。‘19年、同詩集にて第24 回中原中也賞を受賞。‘21年、『ここはとても速い川』で第43回野間文芸新人賞受賞。‘23年、本書で第168回芥川賞受賞。著書に『共に明るい』(講談社)、『する、されるユートピア』(青土社)、『遠景』(思潮社)がある。

――と文庫本のカバーにあります。

 

 

 

 

 

【レビュー&エピソード】

 

二人称という視点で切れ目なく続いていく文章。

詩人ならではの独創的で斬新な文体で新たな言葉の世界へ導いてくれます(でも舞台は日常)。それは物語の主人公の気持ちになってお話の世界に没入していく読書スタイルとは異なっていて、同じ光景を見ていたとしても何か違う……

読書家であればあるほど読みづらさはつきまとうのかなぁ、などと思ってしまいました。メインとなるセリフで読ませる脚本とも異なりますし……書店通いは欠かさないワタクシの友人もしばらくは「積読(つんどく)」だったとのことです。

私が気に入った作品は、3つめに収録されている『キャンプ』。少年たちがお話の中心になりますがフェレットだかイタチの死骸を見つけてせいぜい盛り上がる他愛もない(失礼・汗)話です。また会話はあるものの鉤括弧(「」)は無くて、すべて地の文で表現されます。

ただし、そこまで描写するのかとうなったほど緻密。記録映画のひとコマひとコマをありのまま伝えるかのようです。文庫本で20頁の短編とは思わせない文章量、他愛もない一日を素晴らしい休日に変えています。