お釈迦さまから学ぶありがたいお説教は人生を楽にするヒント💕
CULTURE
2023.08.27
皆さまこんにちは!moca編集部ECOです♡
1人1台スマートフォンを持ち、パソコンやタブレットなどのデジタルデバイスを複数台持っていることも珍しくない現代。
オフィスでも、ネット環境がないとお仕事にならないことがほとんどですよね📱
便利さの恩恵を受けている反面、眼精疲労、睡眠不足、情報過多による弊害・・・
さまざまなネガティブな要素も併せ持ちます。
中でも、誹謗中傷やSNSトラブルなど、ネット上に蔓延る「言葉の問題」は深刻のように思います。
もちろん対面でのコミュニケーションにおいても同じことです。
今回の記事では、そんな「言葉」にまつわるお釈迦さまのお説教の中で、現代を生きる私たちの生活を豊かに、少しだけ楽にするヒントとなるものをご紹介いたします😊💕
悪口は受け取らないと
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~Story~
お釈迦さまと、ある異教徒の若者とのやり取りにこんな話があります。
※解釈は諸説あります※
あるとき、お釈迦さまの与える影響力に嫉妬した異教徒の若者がお釈迦さまに向かって悪口を言ったそうです。悪口を反論もせずに黙って聞いておられたお釈迦さまは、若者がひと通りの悪口を言い終えた後、静かに尋ねました。
※以下の問答は、太字がお釈迦さまの言葉です※
「おまえは、祝日に親や親せきを招き、宴を催すことがあるか?」
「そりゃ、あるさ!」
「親族がそのとき、おまえの出した食べ物を食べなかったらどうするか?」
「残るだけだ!」
「そうだ。私の前で悪口を言ったとして、私がそれを受けとらなければ、その悪口は誰のものだ?」
「受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ!」
「それは与えたとは言えないと思わないか?」
「ではどういうのを受けとったといい、どういうのを受けとらないというのか!」
「悪口を悪口で返し、怒りには怒りで報い、闘いを挑めば闘い返す。それが与えたものを受けとるということだ。しかし、悪口をなんとも思わなければ、いくら相手が与えたといっても受けとっていないのだ」
「それじゃあなたは、悪口を言われても、腹は立たないのか!!」
お釈迦さまは、うたで異教徒の若者の問いに返答しました。
「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、
心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、愚か者の仕業なり」
このうたを受け取った異教徒の若者は
「私は、愚か者でありました。どうかお許しください」とお釈迦さまに謝罪したそう。
さて、皆さまはこのお話をどのように受け取りましたか?
実際問題、お釈迦さまのように、どんな悪口も「気にしない」ことは難しいことです。
ただせめて「言い返さない」「まずは自分が悪口を言わない」ことはできるのではないでしょうか?
「売り言葉に買い言葉」というように、悪口や心無い言葉を投げかけられた時は、つい言い返したくなります。怒りがいつの間にか増長されて、事の発端は些細な一言でも事件に発展したり、一生埋まらない深い溝が生まれたり・・・
自分の意見を主張することはとても大切ですが
◆悪口を悪口で返さない◆
◆悪口は受け取らなければ相手のもの◆
◆まずは自分が悪口を言わない◆
この3点を心に留めておくと、オンラインでもリアルでも言葉のコミュニケーションが少し気楽になる気がします😊💕
また、SNS上でこのお釈迦さまのお説教からユニークな投稿している方をお見かけしたのですが、その方は
「悪口は宅配便と一緒。送り先が受け取らなければ送り主に返っていく」と仰っていました。
言葉は、物のやりとりのように物理的に片づけられるものではないかもしれませんが、「因果応報」を分かりやすく表現されているなと、とても共感してしまいました✨
手間暇かけて用意した悪口が、自分の手元に戻ってきて、自分が発した悪口を自分で受け取る様子を想像すると、何とも滑稽です。
~さいごに・・・♡~
皆さまには、まさに「釈迦に説法」のような記事でしたでしょうか?
相手に言葉を届ける時は、思いやりを持つことを忘れずに、その一言が相手に与える影響を思慮深く考えなければならないなと、記事を作成していて、自分を振り返るきっかけにもなりました。
どうせエネルギーを使うなら、悪口ではなく愛や感謝を表現したり、相手の素敵なところを伝えられる人にならねばと改めて思います。
それに、悪口は受け取らなければ、言ったほうに返るものかもしれませんが、良い言葉たちは発した瞬間に自分に良いエネルギーとして返ってくる気がしませんか?😊🌹
いつの日か「誹謗中傷による開示請求」などという言葉自体、使う必要がなくなる世の中になることを望むばかりです。
それではまた次回の記事でお会いいたしましょう~♡