【徒然コラム】あざとさの鎧を纏って生きるひとたち

CULTURE

2025.06.03

皆さまこんにちは!moca編集部ECOです♡

 

「あざといのは悪いことなの?」「わたし可愛いもん」

——そんなフレーズが、今やテレビやSNS、アイドルの歌詞に溢れているように感じます🐻🎀

一昔前は、ここまで頻出していなかったであろう自己肯定の言葉が、今や前向きな言葉、共感を得やすい言葉として用いられていることに気づきませんか?

現在では、あざとさは嘲笑や非難(嫉妬)の対象ではなく、むしろ賢さや強さ、そして戦略として用いられています!

 

では、なぜ今、これほどまでに「あざとさ」が持て囃されるようになったの・・・?

 

連休を過ごすとつい、どうでも良いことを考えてしまう隙間ができるものです・・・

徒然コラムと題して、昨今の「あざとカルチャー」を考察してみましたので、暇つぶしにお読みいただけましたら嬉しいです😊🍓

 

 

 

◆「あざとい」は悪か? それとも武器か?◆

「あざとい」を広辞苑で調べると、本来の意味では

思慮が浅く、小利口で、押しが強く、やり方が露骨で抜け目ない。と出てきます。

 

しかし現在では、あざとさを前面に押し出すアイドルやタレントが次々と人気を集め、「あざとさ=努力の証」「自分を可愛く見せることに正直な人」といったポジティブな再解釈が進んでいます!

 

SNSでは、#あざと可愛い、#可愛いだけじゃだめですか?などのタグが踊り、あえて“計算高く見える自分”を演出することで、「わかっててやってます」というメタ視点も得られるというカラクリも・・・!

徹底的にセルフブランディングをして、なおかつ見せる(見られるための)努力を惜しまない。

そんな姿勢が、今の若い世代には「かっこいい」と映るのかも知れません🐻🖊

 

 

◆「自信がない」時代のセルフブランディングテクニック◆

一見すると、自己肯定の強い言葉を発する人々は「自信に満ちている」ように見えます!

けれどその裏には、「自分に自信が持てない」「評価されるには何かを装わなければ💦」という切実な思いが隠れていることも多いのではないでしょうか?

 

承認欲求が高まりやすいSNS戦国時代。

誰もが“いいね”や“コメント”で自分の価値を測り、「自分(投稿者)の人生に無責任な会ったこともない他人」からの評価に一喜一憂します😿

 

そんな中で、自分を可愛いと言い切ること、あざとく振る舞うことは、他者の評価を待つのではなく、自分で自分を評価し、認めてあげる行為でもあるのではと感じました。

 

つまり、あざとさは“傷つかないための鎧・・・!!!

自分を卑下するのではなく、自らの価値をテキスト化して演出する・・・🌹

そうすることで、外の世界に自分を守りながら立ち向かうための“鎧”としてのあざとさが生まれているかもしれないですよね。

 

 

 

 

◆“素直さ”と“あざとさ”の境界線◆

当然のことながら、あざとさは受け取る側の視点によって、好意的にも否定的にも変化するのが演出の難しさでもあります😿

 

ある人にとっては可愛く映る行動が、別の人には「わざとらしい」「媚びている」と映ることもあります。

あざとい自分を演出するには、ある種のコミュニケーション能力と観察力が求められます。

誰にどう見られるかを瞬時に読み取り、適切な「あざとさ」を選ぶ——それは演技力であり、処世術でもあると思いませんか?

このような視点で見ると、あざとさは単なるナルシシズムやモテ狙いではなく、自己肯定感が揺らぎやすい社会のなかで、「自分はここにいていい」という小さな承認を得るための工夫であるように思えてきます✨いわば生存戦略に近いのかも知れません!

 

 

◆なぜ「あざとさ」が女性の特権になりがちなのか?◆

現代では男性の中にも“あざと男子”や“愛され系男子”が登場してきたとはいえ、やはり「あざとさ=女性の武器」という印象が根強いです🎀

これは、社会が長らく女性に対して「可愛さ」「柔らかさ」「愛され要素」を求めてきた文化的背景があるのではないでしょうか?

令和時代に時代錯誤の表現ですが「女は馬鹿なくらいが可愛い」「女は何もできない」「女は男の後をついてこい」といった名残ですね!

 

しかし近年のあざとさブームでは、女性が“社会の求める可愛さ”を逆手に取り、自分の主導で“可愛くあろうとする”姿が際立っているように見えます💕

求められるからそうするのではなく、「自分がそうしたいからそうしている」という主体性が、現代のあざとさの要なのであれば、むしろ「あざと可愛い」というより「あざとかっこいい」です✨

 

 

 

 

◆さいごに・・・♡◆

「あざとさ」とは、実はとても健全な自己防衛であり、自分の存在価値を能動的に認めるための表現であることを、コラムを書いていて改めて感じました😊

あざとさはただのポーズではなく、その人なりの「生き抜く知恵」

人と違う、けれど誰かに認められたい。そんな思いを抱えるすべての人にとって、あざとさという鎧は、今日も静かに役目を果たしているのだと思うと愛おしいです💕

徒然コラムにお付き合いいただきまして、ありがとうございました!

それではまた次回の記事でお会いいたしましょう~♡