自分で感じたイメージを掴みとる アートの見方と楽しみ方
CULTURE
2022.03.12
はじめに
「美意識」というのは、何かを見たり感じたりすることから生まれます。
もともと備わっている才能、それを磨けばさらに態度や感覚が変わるものです。
山口周さんの著書でも「アート」がキーワードとなっているように、近年芸術との向き合い方や活用方法にも大きな変化が見られているようです。
※世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」(光文社新書)
もともと芸術に慣れ親しんだ人からすると、いやいや、そんな当たり前なこと…という人もいるでしょう。
アートといえど、その「視点」は様々です。
年を重ねると、ついつい偏りがちな考え方も、アートをきかっけに何か気付きが得られるかも!
少しだけでも、アートに触れてみませんか?
1.【芸術=アートを楽しむ】きっかけはいつも身近に
少し掘り下げてみましょう。
映画『ダビンチ・コード』は、トム・ハンクスが演じるロバート・ラングドンが、事件を解決する鍵を握る数々のアートと共に物語が展開していくミステリー&サスペンスの作品です。
公開された2006年当時、映画は興行収入TOP3に入ってしまう大ヒット!
映画館で観たことがあるというmoca読者もいらっしゃるでしょう。
数々のキーセンテンスが、フランス・ルーブル美術館での事件をきかっけに展開していきます。
映画上では、同美術館に所蔵されるルネサンス時代の絵画と共に、時代背景、宗教なども深く絡み合うため、きちんと内容を理解して観ていくことはとても難解です。
とはいえ、映画をきっかけに「芸術ってこういう見方もできるのだな」と初めて知った人もいるのではないか?と思いながら観賞した記憶があります。
芸術という言葉と使うと、やや仰々しい言葉に聞こえるかもしれません。
とはいえ、これまでに一度も芸術と触れ合ったことが無いという人は、おそらくいないはずです。
例えば、幼少期に見たであろう絵本の挿絵は、見方を変えると一種の芸術作品=アートに当てはまります。
好きな色や、好きなものを知るためのツールのひとつとして、無意識ながらもアートと触れ合う機会となっていたのではないでしょうか。
2.【深掘りするかは当人次第!】自由にアートを見るってこういうこと
具体的な事例を見ていきましょう。
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みなさん、この作品を見て何を思いますか?
フラットに見て何を思うのか。何も感じなくてもOKです!
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私が最初にこの作品を観賞したのは、小中学生の頃でした。
当時は単純に淡い色合いや優しい筆のタッチに強く惹かれ、華美ではないけれど素敵な作品…と子供ながらに大人びた感想を持っていました。
どちらかというと、描き方、色合いにフォーカスしていたということが分かります。
時を経て・・・
大学生になった私に、再びこの作品と向き合う機会が訪れます。
懐かしい思いで作品を見ていると、不思議なことにモヤモヤした気持ちが。
一言でいうと、なんだか不快な気分。
よくよく考えてみると、実家に同居する祖母の外での立ち話に、少し嫌気が差す時期だったのです。
声がとっても大きくて、恥ずかしい思いをしていたものです(そしてプライベートの話も多くて、、、とほほ)。
作品に書かれている女性を見ていると「もたれ掛って長話する前提作らないでくれー!」とノリツッコミを心の中で静かにしてしまっていました。もしくは、相手の女性の長話にうんざりしているのかも・・・とも感じたのです。
しかも、タイトルがまさに『立ち話』…
妙に不思議な縁を感じてしまい、当時「あなたの見方を教えてください」と題して、「いろいろメガネ Part2」(@国立西洋美術館)というイベントが開催されていたので、即座に応募しました。
その後、まさかの入選。
選考委員の脚本家 内館牧子さんに「身近な日常をドラマチックな切り取りで、見事に書き上げています。」とセレクトのポイントを聞いたとき、ふと思ったのです。
そうか、アートを見るってこういう自由さがいいのだな、と。
では、この作品を描いたアーティストについて少し解説していきましょう。
ピサロ 「自画像」
1903 41x33cm テイト・ギャラリー、ロンドン
カミーユ・ピサロは、19世紀後半のフランスを舞台に展開された「印象派」に属する作家です。
当時は、かなり皮肉めいて捉えられていた印象派。
なぜなら当時の主流の描き方からは、かなり逸脱していたから。描き方から手法まですべてが斬新すぎたのです。
このあまりにも自由に描かれた印象派の絵画は、その自由さゆえに、人々の注目を浴びることになります。結果として、アーティスト達の積極的な活動も功を奏し、次第に認められていく絵画ジャンルのひとつです。
ピサロ自身も、印象派を作り上げていたクロード・モネ、ルノワールをはじめ、そのメンバー達とカフェでたむろしながら、外での自然光で風景や、その当時の生活を描きたいという共通の興味に賛同し、加わったとされています。
だから、野外で女性2人が『立ち話』をするシーンをあえて選び、描いたのですね。
このようにして作品の背景を知っていくと、当時の描かれた意図が探れるのです。
カミーユ・ピサロ[セント・トーマス島, 1830年 – パリ, 1903年]
制作年 1881年頃
材質・技法・形状
油彩、カンヴァス
寸法(cm) 65.3 x 54
上野 国立西洋美術館所蔵
https://collection.nmwa.go.jp/P.1959-0165.html
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では、もう一度最初の作品に戻りましょう。
作品の解説をみて、理解を深めていきます。
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何気ない農村の日常のひとこまの中には、よくよく見ると2人の女性の動作に自然と目線が向かいます。
物の飾り気のない姿にくわえ、印象派独特の振動するような筆触、全体的に明るい色調や、垣根の斜め線がより軽やかな印象を与えます。
解説を読むと「何気ない日常」という共通項を、私自身にも気づかせ、日常のひとコマとして思い出させてくれたのだと納得できます。
緑豊かで、明るい色彩と軽やかなタッチは、祖母の笑い声やくだらない話などが、まるで聞こえてくるかのようです。
再び観賞していると、またあの頃の記憶がいろんな意味で蘇ります。笑
3.【「アートを楽しむ」とはいうけれど…】芸術と触れ合う意義とは
「いつの間にか」という出来事やきっかけは、人は忘れやすいものです。
「そういえばそうだった!」と不思議と気が付く面白いきっかけが、アートには多く潜んでいます。
年を重ねて趣味嗜好が変わっていくように、アートに触れあったその時々の「美意識」で楽しむことは、時として自分の変化に驚きを隠せないことも。
私のようにくだらない毎日の切り取りでいいのです。
自分への関心ごとや理解を深めるものとして、アート作品と巡り会っていくこともとってもおすすめですよ♡
moca編集部 MEGU