【Book review】千の扉
CULTURE
2023.08.31
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日常のなかの不穏を感じる事件、
最近多くありませんか……
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『千の扉』
テレビの音は聞こえるけれど無人の気配。
3000室ある団地の扉の内側は……。
著 者: 柴咲 友香
出版社:中公文庫
定 価: 858円(税込)
雑誌『&Premium(アンド プレミアム)の書評欄で紹介されていて、読みたくなりました。
芥川賞の受賞(2014年)から3年後の作品です。純文学の作家が描く日常の光景は、淡々と描きながらも何やら不穏な空気も漂います。
WEBの著者インタビューを拝読すると「風景小説家」とも評されています。本の題名は35号棟まである広大な都営団地の扉のこと(原由子の歌に同タイトルあり・微笑)。
3000の部屋に7000近い人が住んでいる勘定です。そして、その膨大な数の扉のどこかの主人公の千歳が探している人がいるのです。
【本書のあらすじ】
主人公の永尾千歳(ながおちとせ)は39歳。
夫の一俊(かずとし)は4つ下の35歳。出会いから4度目で唐突にプロポーズされて結婚。
一俊は再婚です。式もパーティーも行わず、独り暮らしをしていた一俊の祖父が40年以上住んでいる都心の都営団地の一室で新婚生活を始めます(あまり新婚らしさは感じられず、といった様子)。
部屋が空いたのは、祖父が大腿骨を骨折したため。完治まで一俊の実家で一俊の母が面倒を見ています。
お話は、5階建てのアパートの階段のシーンから。千歳たちの部屋は401号室(もちろんエレベーターはありません)。両手にさげたスーパーのビニール袋が指に食い込みます。
千歳が4階からの眺めと広大な都営団地の環境や住人に慣れていくなかで、一俊の祖父から団地内の人探しを頼まれます。巨大な団地(家出少女が別棟に潜んでいてもなかなか発見されないほど)を彷徨いながら、なにやら意味深な人達と交わっていく千歳。
団地ができていく歴史のなかで、その土地にまつわる意味深な出来事や不穏な空気を感じる場所も理解していきます。
そんななか、千歳がバイト帰りに引ったくりに遭う事件が起きてしまいます。
巨大な団地に闇の部分があるように、そこに暮らす千の扉の内側の住人たちの心にも、闇が潜んでいるのかもしれません。
作品中に得体の知れない人物描写の他に、こんな描写があります。「十年も二十年も前から、この団地では人の話し声をほとんど聞かなくなった。廊下で誰かが立ち話をしているところに出くわすこともないし、部屋から子どもの騒がしい声が聞こえることもない」。
一俊の祖父は、人探しが解決しないまま、401号室に戻り、独りで亡くなります。人生に暗がりを抱えて生きてきた祖父が好きだった、窓辺からの光景はどんなものだったのでしょう。
【著者について】
柴崎友香(しばさき ともか)氏は1973年生まれで大阪府出身。
大阪府立大学総合科学部を卒業後、機械メーカーの事務職を経験。
1999年『レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー』が文藝別冊に掲載され作家デビュー。
2007年に『その街の今は』で第57回芸術選奨文部科学大臣新人賞(併せて第23回織田作之助賞の大賞も)、2010年には『寝ても覚めても』で第32回野間文芸新人賞、そして2014年には『春の庭』で第151回芥川賞を受賞されています。
『寝ても覚めても』は、2018年東出昌大主演で映画化されたのは記憶に新しいところです。
【舞台&背景】
都心にある団地の名称は作品中登場しませんが、地理的にも、規模的にも、新宿区戸山2丁目に存在する「都営戸山ハイツアパート」(戸山ハイツ)に間違いありません。
山手線内で一番高い標高44.6mの山は「箱根山」です。江戸時代に尾張徳川の庭園として築山されました。
その箱根山を中心とした「戸山公園」を囲むように戸山ハイツのアパートが林立しています。主人公の千歳と夫の一俊が暮らす部屋の世帯主が85歳の祖父であるように、高齢化が進んでいて、65歳以上の住人が6割を占めるというデータもあります。
独り暮らしの老人が増えていくと、作品中で7000人とある住人の数も年々減少傾向ということになります。建物自体も築50年程度経過しており、老朽化が指摘されています。
【レビュー&エピソード】
共有の廊下や階段から眺める光景をはじめ、住人の心象も丁寧に描かれていて、自分も戸山ハイツに住んでいる気分になれます。
読後、ワタクシ書評子も早稲田から箱根山を登り戸山ハイツを散策してみて、著者の取材力は相当なものと実感しました。緑が豊かな環境ですが、出歩いている人の数は少なく、アパートの低層階には後から外付けで施された鉄骨の耐震補強が目につきます。
1階が商店街になっている高層棟もあります(例えば33号棟)。作品に登場する喫茶「カトレア」は実在する「珈琲専科 メルヘン」にインスパイアされたのかな、と想像してしまいました(笑)。
作品中のエピソードとして、団地内の建設現場で100体以上の人骨が見つかった事件(1989年)も描かれています。発見現場となった一帯には、終戦まで軍医学校があって、戦時中、生物・化学兵器開発に携わっていた731部隊の関与も疑われているということです。